小倉まちなか文学散歩
北九州市内の句碑・詩碑・資料館を訪ねて文学散策のコースです。
清張の世界が堪能できる「松本清張記念館」や北九州にゆかりのある文学者を紹介した「文学館」などもコースに入っていますので、時間に余裕のある方はこちらもぜひ訪れてみてください!
![]()
①森鷗外京町住居跡碑
小倉駅前にある「森鷗外京町住居跡碑」です。
文豪 森鷗外が小倉で住んだ二軒目の借家で、1年3ヶ月住みました。当時鷗外は、この場所にこんな巨大な駅ができるなんて、想像できなかったんじゃないでしょうか。
![]()
②-1広告塔
広告塔は明治23年頃、長崎街道の東の起点である常盤橋のたもとに建てられました。
当時この地方では円筒の広告塔は珍しく、鷗外は毎日馬上からこの広告塔を眺めながら橋を渡って小倉城内の司令部まで通勤したそうです。現在のものは、当時の面影を残しつつ、約3分の1の大きさで復元されたものです。
![]()
②-2広告塔(常盤橋)
鷗外も馬で通った橋なんですね。
現在「木の橋」として復元され、歩行者専用の橋になっています。
![]()
八坂神社
八坂神社には、仰木実と丸橋静子の歌碑があります。
![]()
③仰木実の碑
仰木実は、歌誌「抒情詩」「青杉」「短歌巡礼」などを経て、昭和28年(1953年)八幡で歌誌「群炎」を創刊し、編集発行人となりました。「風おちて ゆふくもなひく街の空 しつかに城はそひえたちたり」と記されています。
![]()
④-1丸橋静子の碑
丸橋静子は、杉田久女に学び、高浜虚子の指導を受けました。俳誌「ホトトギス」同人。
「月仰ぐ 一途に生きし 来し方よ」と記されています。
![]()
⑤森鷗外の碑
森鷗外の碑は、鷗外橋の西側たもとにあります。石碑は六角形になっていて、それぞれの面には鷗外の作品から抜粋した文が刻まれていますよ。鷗外生誕100年を記念して建てられました。
![]()
⑥横山白虹の碑
横山白虹の句碑は小倉城内の敷地にあります。俳人で、俳誌「自鳴鐘」主宰。
社会性現代性を重視する現代俳句協会の会長を長年務めた俳壇の雄で、斬新で実験的な「定型の抒情詩」を目指しました。「霧青し 双手を人に差しのばす」と記されています。
![]()
第12師団司令部跡
こちらも小倉城内の敷地にあります。
日清戦争を機とした軍備拡張に伴い、明治29年(1896年)に第12師団司令部が小倉城本丸跡に置かれました。現在、建物は解体され正門のみが残っています。鷗外は、第12師団の軍医部長として明治32年(1899)6月から同35年(1902年)3月まで勤務しました。
![]()
⑦松本清張記念館
今日は松本清張記念館のほうへ行ってみました。
いきなり驚かされたのは、清張さんが今まで執筆した700冊近くの表紙が、まるで絵のように色鮮やかにディスプレイされていました。他にも書斎、書庫、応接室がとても細かく再現されていて、思わず見入ってしまいました。なんだか清張さんが見えたような気が・・・。松本清張の作品の世界と、人間的な魅力をたっぷりと堪能できる場所です。
![]()
⑧劉寒吉の碑
劉寒吉の碑は中央図書館の前庭にあります。寒吉は、火野葦平、岩下俊作らと同人誌「九州文学」を創刊しました。作家活動の傍ら、小倉の郷土史や文化全般に力を注ぎました。
「吹くは 風ばかり」と記されています
![]()
⑨万葉の碑
6首の万葉の歌が、とても大きな自然石にそれぞれ刻まれています。
千年もの昔の北九州のことが歌われていて、当時の人たちの心情が伝わってきました。
![]()
⑩文学館
文学館は、森鷗外、火野葦平、松本清張などをはじめとした、北九州にゆかりのある文学者の足跡や作品を一堂に収めて紹介していて、北九州の多彩な文芸土壌を知ることができます。
今回は行けなかったのですが、また次機会があるときに足を運びたいと思います。
![]()
⑪岩下俊作の碑
岩下俊作の碑は、商工貿易会館裏にあります。
八幡製鐵所に勤務しながら、火野葦平、劉寒吉らと同人誌「九州文学」を創刊し、歴史、推理小説など幅広い分野で活躍しました。「富島松五郎伝」は、のちに「無法松の一生」の題名で映画化もされ、碑の下にはその時の脚本が埋められているそうです。
![]()
⑫杉田久女の碑
杉田久女の句碑は堺町公園の中にあります。久女は結婚して小倉に住居し、この近くにもっとも長く住んだそうです。「花衣 ぬぐや纏はる(まつわる) ひもいろいろ」
と記されています。小倉北区妙見町にある円通寺の境内にも、2つの句碑があります。
![]()
⑬-1森鷗外旧居
文豪 森鷗外が旧陸軍第12師団軍医部長として小倉に赴任してきたのは、明治32年(1899年)のことです。小倉勤務の初めの約1年半住んでいたのが、この鍛冶町の家です。
小倉在住の約3年間は、軍医のかたわら、アンデルセンの「即興詩人」の翻訳、地元新聞への寄稿、講演、歴史調査など幅広く活動しました。現在、旧居は歓楽街の中にひっそり静かにありました。
![]()
⑬-2森鷗外旧居
家の中に入って見学することもできました。これは鷗外が書斎に使用した部屋です。
床の間には、「天馬行空」の自筆の掛軸(複製)が掛かっていました。
源高湛(みなもとの たかやす)は、鷗外のことだそうです。
![]()
⑬-3森鷗外旧居
これは、旧居内にあった鷗外が49歳の時の等身大パネルです。
身長は162.1㎝と手記に記されているそうですが、当時の成人男性の平均身長が約155㎝だったので、鷗外は高いほうだったようです。
![]()
⑬-4森鷗外旧居
ゴールです!
(ウォーキングを終えて)
今回小倉都心部を歩いただけなのに、こんなに北九州にゆかりのある、文学の歴史にふれられるとは思いませんでした。コースに出てきた森鷗外、松本清張、杉田久女・・偉大な文学者たちがとても身近に感じられ感激しました。ぜひみなさんも実際に行ってみて、その歴史にふれてみてください。きっと本が読みたくなりますよ!コースもまちなかの平坦な道ですので、気軽に行けると思います。
- カテゴリ
- 市民特派員レポート

















