北九州市に暮らす

北九州市を訪れる

北九州の味を食する

北九州人が繋がる

北九州市の魅力を観る

北九州市のことを知る

市民特派員レポート

北九州市応援団

北九州マップ

市民特派員レポート

火野葦平ゆかりの地 若松を散策しよう(若松駅~本町・明治町銀天街~わかちく資料館~火野葦平資料館)

かつて日本一の石炭積出港として栄えた場所、そして芥川賞作家の火野葦平の軌跡がここ若松にはあります。そんな魅力ある若松の歴史を散策してみましょう。今回のコースはこちらです↓
mapwakamatu.JPG

wakamatsu-eki.JPG

①若松駅前
頭端式1面2線構造で南側に1本の側線が存在します。以前は石炭の積出港として広大なヤードを備えていました。現在その跡地は、駅前広場等公共施設用地として整備されました。

kahakudo.JPG
②河伯洞(火野葦平旧居)
1930年に竣工。葦平の生活や創作の拠点となった所です。絶筆「真珠と蛮人」にいたる作品群の多くがここで生まれました。1960年に葦平は、2階にある書斎で自ら命を絶ちました。1997年、北九州市により「史跡・火野葦平旧居・河伯洞」として文化財に指定されています。場内には綺麗に手入れされている日本庭園と河童が出てきそうな池があります。
honmachi-gintengai.JPG
③ウエル本町 
中小の商店が立ち並ぶ銀天街です。昔なつかしい店舗が現在もあってどこか懐かしい感じがします。
esuto-honmachi.JPG
③-2 エスト本町アーケード入口
アーケードのある側の商店街で、入口付近にある広場では毎年「五平太ばやし」の総打ちが行われています。※ちなみに「五平太ばやし」とは、7月17日~19日の3日間に若松みなと祭りのメインイベントとして行われている行事です。
gintengai-ponpu.JPG
③-1 ポンプの井戸
ウェル本町入口から中川通りの間には、昔懐かしい手押しポンプの井戸が数箇所あります。今でも現役で使われています。
「これがあれば、水がなくなることはなさそう~ですね」
honmachi-oasis-hiroba.JPG
③-2 本町オアシス広場
エスト本町の銀天街内にある休憩場所で、周囲は煉瓦造りになっています。広場内には、ベンチが備わっていて地域の憩いの場になっています。
「喫煙者にも配慮して灰皿も置いていますよ~」
meijimachi-shotengai.JPG
④明治町銀天街
エスト本町の途中から分かれている銀天街で、天井部分にはおしゃれな街灯が設置されていていい雰囲気になっています。
「明治な感じです」
ryotei-kinnabe.JPG
⑤料亭 金鍋
1895年に創業の老舗料亭で、一旦は焼失したが現在の建物は大正の初めに再建されたものです。大正時代には多くの著名人が訪れにぎわっていました。「火野葦平」も作品の執筆ためにここの2階の客間を利用していて今では「葦平の間」と呼ばれています。周辺の建物は改装されて新しくなっていますが、ここに来ると昔の人が誰か出てくるんじゃないかと思うくらいの雰囲気がある建物です。
ebisu-jinjya.JPG
⑥恵比寿神社
「えびす様」として知られている神様で海の幸をもたらす「寄り神」として漁業関係者の信仰を集めています。右肩に釣り竿、左わきには鯛を抱えて座っており商売繁盛や交易、漁業の神様として知られています。恵比寿様は、一般的に蛭子尊(ヒルコノミコト)が「えびす様」になったと言われています。毎年4月と12月に「おえべっさん」が行われ多くの人が訪れる神社です。
houiseki.JPG
⑦方位石
東西南北と十二支による方位が刻まれた石(北九州市有形民俗文化財)が置かれています。社伝には伊能忠敬がこの地方の測量事業の成功を祈願して奉納したと記されているそうですが、忠敬の日記には記録がありません。資料などが残っていないためここにどのように置かれたのかは不明だそうです。
「こっちが北かな~???よくわかりません!!」
wakachiku-shiryoukan.JPG
⑧わかちく資料館
1890年、若松築港会社として創業。明治・大正・昭和・平成の4時代にわたり、洞海湾とともに生きてきた会社の資料や地元の方々からの貴重な資料を多数展示しています。
sokuryoseki.JPG
⑨測量石
明治時代に洞海湾開発の測量基準点で設けられたもので、わかちく資料館の入り口に設置されています。玄関のちかくにありますが、見逃しやすいのでぜひここに来た時は忘れずに観て行ってくださいね。
wakato-oohashi.JPG
⑩若戸大橋
北九州工業地帯の真ん中にある洞海湾にかかる橋で、この橋は全て日本独自の技術で作り、つり橋の先駆的な役割を果たした橋です。若松と戸畑どちらからでもはっきり赤ってわかる位目立つ橋です。
wakamatsu-watashiba.JPG
⑪若松渡場
若松渡場と戸畑区北鳥旗町の戸畑渡場を旅客船で結んでいる。北九州市が運営していて、市民からは「ポンポン船」の渾名で親しまれている。この船(若戸渡船)は旅客のほか、自転車も載せることもできます。実際に自転車を乗せている場面をみて、ちっちゃいフェリーみたいだって思いました。
kyu-furukawakougyo.JPG
⑫旧古河興業若松ビル
旧古河鉱業若松ビルは、1919(大正8)年古河鉱業若松支店として建てられた、レンガ造りの2階建てです。コーナーの入口の上に3階建ての塔がある建物です。若松南海岸のシンボル的建物で、補修・整備されて、2004(平成16)年9月地域のコミュニティ拠点としてオープンしました。
tamaigumi-jimusho-ato.JPG
⑥-2 玉井組事務所跡
火野葦平の父、玉井金五郎と母マンが、1906年に設立した石炭荷役請負業の事務所跡です。当時、事務所は現場と自宅に2つあったそうです。
⑥-2-1 厳島神社
左側に写っている神社は厳島神社といって貞享2年(1685年)、洞海湾の守護神に宗像郡玄海村に鎮座する市杵島姫命の分霊を祀ったのが起源とされ、交通の神として漁師や船乗り達の参詣で賑わっていました。
DVC00168.JPG
⑥-3 第2期玉井組事務所跡
こちらが自宅側の事務所があった場所です。家は今でも存在しますが、室内の一般公開はされていません。
gonzou-goya.JPG
⑬旧ごんぞう小屋
北九州では、沖仲士(海上労働を行っていた人)のことを、「ごんぞう」あるいは「ごんぞ」と呼んでいました。「ごんぞう」の語源は、昔、布で編んだ草鞋のことを「ごんず」といい、それを履いていたことから転化したという説、「ごんぞう」という腕力の強い人気者の名前からでた説などがありはっきりしていません。また『旧ごんぞう小屋』は、当時は彼らの詰所として使われていて北九州における産業の近代化を底辺で支えた人々の足跡を、後世に語り継ぐため整備されました。
benzaitenjyorikuba.JPG
⑭弁財天上陸場
複数あった荷揚げ場の一つで、これは当時のものを復元して整備されたものです。
hino-ashihei-siryoukan.JPG
⑮若松市民会館内「川ひらた」
江戸時代より、米とともに石炭が堀川を利用して若松に運ばれました。底の浅い舟を川ひらた、別名五平太船と呼び、川ひらたで遠賀川から堀川を通り、洞海湾を渡って、若松に運びました。1889(明治22)年頃の最盛期には8,000隻以上が可動していました。現在展示されているものは復元整備されたものです。
「でもよく考えたら川ひらたが8000船隻が全部集まってたってことはこのあたりは超渋滞だろうと思います」

(ウォーキングを終えて)
若松の最盛期には約4,000人もの荷役人が働いていたことや、ここ若松に8,000隻以上の五平太船があったことなどをふまえると、この辺りにはいったい何人の方が毎日行き来していたんだろうって想像するとたぶん大渋滞になっていたんだろうなって思いました。執筆や石炭などジャンルは様々ですがここ若松にはまだまだたくさんの歴史が眠っていそうな感じがしました。機会があればまた来てみたい場所です。



カテゴリ
市民特派員レポート